『「人生設計と二宮金次郎、山田方谷、本多静六の実践」を読んで』という読書感想文が郵送されてきました。
ちょっと長いですが、自分自身大変感動しました。
本の内容は別にして、出版したことで、このような手紙をいただくことができました。
ご本人に了解の上での公開です。
「人生設計と二宮金次郎、山田方谷、本多静六の実践」を読んで
貴君の著書を読ませていただいて、現在の仕事内容を初めて知り、社員研修等でのセミナーを主催、そして自らも講演をするなど驚きと畏敬の念でいっぱいです。
自らを顧みれば、高卒で就職のはずが親友の大学進学に触発され親に無理を言って大学へ、卒業時に郷里の銀行を受けるも失敗。失意のなか、友人の勧めで初めて知った会社を受け入社。三年後、東京での将来に不安を抱き始めたころ母校から臨時教員募集の連絡を受け、採用の当てもないまま翌日退職願を出し帰郷、その後幸い本採用となり無事定年退職を迎える。思えばわが人生の契機は大学入学後、構内掲示板の隅でふと目にした「教職課程説明会」の張り紙にあったことになる。結果としてはともかく、これではおよそ「人生設計」とは全く無縁の行き当たりばったりの人生だったなと思い返している次第です。
二宮金次郎と言えば、小学校の玄関脇に薪を背負い本読みしながら歩く金次郎少年の像があり、幼いころから身近な偉人として尊敬の念を抱いたものでした。先日、何十年振りかに小学校を訪ねてみると、金次郎像は校舎改築に伴い校庭の片隅に移築され、成長した木々に覆われてひっそりと佇んでおりました。
さて、遅くなりましたが拝読後心に残った三方の言葉から思い起こしたことをあれこれと述べてみます。
二宮金次郎 「入るを量りて出ずるを制す」
本多静六 「人生設計」「収入の四分の一の貯蓄」
「銅は銅、銀は銀なりの生活」
「財産の処分」子孫のために残す? 子孫のためならず
「入るを量りて出ずるを制す」は国の予算計画に一言。阪神淡路大地震や東日本大地震などの大災害時ならともかく、先般の防衛費倍増計画にしても、異次元の少子化対策にしても、必要性は理解できたとしても、まず欲しいものから予算を立て、その財源は増税や国債発行で賄えばいいというのではおよそ先達の言葉とは真逆の発想としか思えない。企業や家計はそうはいかない。まず、収入があり、それに沿った支出(生活費)予算を立てなければ企業や家計は成り立たないことは誰にでもわかること。そして、企業や家計にとって収入増は生半可なことではなく、だとすれば収入に見合った経営、生活をしなければならないのは自明の理である。このことは、「銅は銅、銀は銀の生活をしなさい」という本多静六の言葉にもつながってくる。
「財政が貧窮するは『賄賂』と『奢侈』にあり」も同様。賄賂は政治やオリンピックに至るまで今に始まったことではないし、我々ベビーブーム時代が働き盛りの頃は潤沢な年金保険料であちこちに箱モノを乱立させたが、それも無駄遣いだったのではないかと思えてならない。われわれの頂いている年金は現在の働き手が納める年金保険料で賄う仕組みだから、少子化による財源不足で年金先細り状態を招くとは、本当に先の読めない施策だったとしか思えない。これは何も現政権に限らずかつての民主党政権の時も同じこと。
「子孫のために美田を買わず」は西郷隆盛の信条として有名だから、私自身もかねてからその通りと思っていた。子供に残せるのは、できれば健康な体と必要な学業のみで十分だと思って来た。しかし、先ごろ「退職時、老後生活のためには2千万円の蓄えが必要」との発言記事をみてショックを受けた。確かに西欧のある国々のように消費税などの税比率は高いが、そのかわり福祉や老後生活が十分に保障されているのならともかく、老後の生活も各自で保障しなさというこの国では、老後の資金貯蓄も無理からぬこと。そして、大病や怪我もなく終活でき、結果として蓄えを子に残すことになってもそれはあくまでも結果である。だから、高齢者が一番金を持ったままでいるというのも、老後生活の不安からくる予防策であって無駄に貯めこんでいるわけではあるまい。我が家でも、子が一人前になれば少しはいい身なりをして美味しいもの食べてゆとりある生活をと思っても、将来の不安を考えると日々の買い物籠にはいつも割引シールが貼られた商品ばかりというのが現状なのである。(つづく)
最近はTVや新聞をみても政治家の不祥事、オリンピック賄賂・談合、チェーン店等での迷惑行為、老人を狙った特殊詐欺・強盗など毎日いやになるほど見ざるを得ない状況です。かつて海外評価の高かった日本の美徳は一体どこに行ってしまったのか。
などと、老人特有の勘違いと不見識による不満や愚痴ばかりを思いつくまま述べてきたけれど、わが身は、こんな毎日でいいのかなと思いつつ、趣味のゴルフや図書館読書、健康のためのジョギング、成果の少ない畑いじりと日々楽しく過ごさせてもらっております。
最後に、貴君の話として「子供のころの通信簿に『落ち着きがない』と書かれていた」とありましたが、全く「長谷尾よ、お前もか!」です。実家の両親の遺品整理をしていると、タンスの中から私たちの小学校の通信簿が出てきました。その通信欄、複数の学年担任からは決まって「落ち着きがない」と、それまで学校で叱られた記憶もなく「おとなしい無口な子供だった小学生時代」と思い込んでいた自分としては正に青天霹靂、あまりのショックに「噓やろ、ホンマに俺の通信簿か!」と思わず名前を見返したものでした。(笑い)他人は自分をどう思っていたのか、恩師たちはすでになく、この団地には幼馴染もいないため、いつか小学校の同級生にあったら是非聞いてみたいと思っています。
最近気づいたこと。若いころは明日の不安と将来の夢を考えながら眠りに就いていたものなのに、退職してからは明日の心配や悩み事もなくなった代わりに、若き頃の軽率で至らなかった言動ばかりが思い出され「まったく赤面至りです」とつぶやきながら眠りに就いております。それもこれも十分な「人生設計」の発想と実践が出来ずに人生を送ってきた報いでしょうか。(反省しきり)
拝読後、あれこれと思うことが浮かび、とりあえずの感想なりを思いつくまま述べさせてもらいました。読み返す度に直したいところばかり目につきますが、果てがないのでこのまま投函します。(そのことだけでも、本を出された決意に敬服しております。)
また再会の折に改めてゆっくり語り合えればと思いつつ今日はこれまで。ご健勝を祈ります。
2023.2.25
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